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●イラク人質事件のバッシングについて〜友人に宛てたメール 昨日、多国籍軍参加、っつうニュースを聞いた。寝耳に水っ!の話に驚れーたよ、わたしゃ。 |
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2004/4/24
人質にとられた人たちに対するバッシングだけれども、イラクにいて人質にとられた、という事実のみを起点にした連想ゲームのようなんだよ。それも、冷静さも、理性もまるでない、非常に感情的でしかない、ね。 --------------------------- てな具合にさ。誰が救出費用の情報を流したんだろって思うとなんかひっかかるものがあるけどね。ニューヨークのテロが起こった後と同じような、世論が流されていく、その流され方に異常さを感じてしまうんだ。 この一連の流れの発端は(ほんとはもっともっと以前からの連鎖だけれど)表面に衝撃的に現れた現象は9.11事件なんだよ。そしてアルカイダとオサマ・ビン・ラディンという人物が浮上してきた。そして、アフガニスタンの政情に米国が介入して、幕府の下には薩摩・長州のような国がある、みたいな構造の自国内を、やっと束ね始めていたタリバーンを一方的に悪者にして、また混乱の時代に戻してしまった。『なぜ9.11事件が起こったのか?なぜこれほどの憎悪がアメリカに向けられたのか?・・・』アメリカ国内にもあったはずの“真実を見ようとする目”もやはり、報復を叫ぶ声に押しつぶされて表には出てこない。 --------------------------- 未だに見つからない、テロの温床となるイラクの大量破壊兵器を撲滅する動きのはずが、“民主主義の正義による独裁政権打倒”
という傲慢な内政干渉へといつの間にかすり替えられていく。 戦争を押さえ込んでたこれまでのルールも破壊してしまって、勝手に何の正当性もない戦争をおっぱじめてしまった。そもそも戦争自体に正当性なんて、微塵もないが!
そんな各国の欺瞞が渦巻いてる中、ほんとの人道支援ってなんだ? “個”のイラク人が「ありがとう」というのは、子供の頭に包帯を巻いてくれた“個”の日本人に対して、であり、「ありがとう」と言われるのは、傷の手当てをしたり歌を歌ってあげたり、「具合はどう?」と話しかける個の日本人なんだよ。決して、銃を手にした軍隊という組織に対してじゃない。 「ボランティア?なんか偽善ぽいな」「結局人間なんて、己のことが一番大事なんだよ」「しょせん偽善者だよ」とかね、高遠さんのことを自分の価値基準で分析するのはかまわない。けれどね、偽善であろうと、自己満足であろうと、信頼され、感謝され、交流をしているのは、現場にいて肌でふれ合っているそんな人たちなんだ。海外における日本人の価値を高めてきたのは、失恋の痛手を癒すためだろうが、なんだろうが、現場の空気を嗅いでいる、そういう人たちなんだよ。 恐怖や、本物の怒りや、目の前で人が死んでいく様や、人間が殺し合うむなしさや、そんな中で、ほんのひととき安らげるものの大切さ、偉大さ・・・それらを肌で知ってしまった人が日本に持ち帰ることの迫力が、“世界平和への推進という実感”を育てることにもなるんじゃないのかな? 「バーチャルゲームで他人を殺す。ケンカをしたこともないから痛さも辛さも知らない、そんな子供が増えてる。いけませんねぇ」って言う前に、世界中では当たり前のように起こっていることを肌で感じる日本人がいなくなってしまったらどうなるんだ???って考えて見ろよっ!と海外渡航の規制を法案化しようなんて言う馬鹿な連中に言いたいよ。「ゲーム機の前に座っている日本国」なんて風刺漫画書けそうだよ。 これまで日本人がこういった種の人質事件の対象にされることが少なかったのは、世にも珍しい憲法9条があったからなんだよ。外交政策が腰抜けのように言われながらも、「いやぁ、民主主義の大前提である憲法に、戦争しちゃだめって項目がありましてね。だもんで、兵は出せないんですけどね、金と人は送れます」っつって、幸か不幸か、力と武力に頼らない国際平和への大人としての対処の仕方・・の方向性を示してたんだよ。そんな日本だったからこそ、信頼を得ていた部分もあったし、そんな日本だからこそ独自のリーダーシップを取れる可能性を持ってたんだよ。のらりくらりでも、力と武力に頼らない国際平和のリーダーシップのね。 「親愛なる日本のみなさん、私たちの国のことは私たちでやらねばならない。アメリカの占領には、どうか手を貸さないでください」そんなイラク人の声も無視して、人道支援の名のもとに馬鹿小泉は派兵しちゃった。時代を逆行するようなことを平気でやっちゃった。大人になれるかも知れなかったものを幼稚なレベルへと引き下げちゃった、と私は思ってる。自衛するのみの隊、なんて認識は日本だけだよ。銃を持って戦車乗ってりゃ、軍隊なんだよ。その結果、今回みたいな人質事件が起こった。 なんで派兵したのか?政治家特有の現実主義でものを言うよ。いろいろとね。「北朝鮮の脅威もあるじゃないか。アメリカに刃向かったら助けてもらえないだろ?経済で圧力かけられたらどうするんだ?不景気な日本の失業率を増やしてもいいのか!」等々ね。いろんな事考えてるふうで目先の事しか考えてない。事実、世界中の国々が、決してアメリカの言う通りにはならないことが今、証明されてる。日米の安保条約の迫力なんて、もうとっくになくなってしまったんだよ。 撤退するべきだ、と私は思う。「なんの正当性もない戦争を支持して、他国を侵略する行為に手を貸してしまいました。自国の憲法違反を犯してしまいました。原点に立ち戻らなければいけない。撤退します。しかし、こうなった以上、そこに暮らす人々が何とか立ち直れるように最善の努力をします」そう言うべきなんだよ。 そんな中でのこの人質事件のバッシング騒動をどう見るかっていうこと。『人質にとられた5人の日本人はイラクにいた』という部分だけみて(いいか、悪いか)と考えるのはとっても危険なことだよ。 今、あんな広告見出しが堂々と電車の天井からぶら下がってる。発言の自由、情報の公開は原則だと思うよ。けれど、【民主主義の名のもとに、ゆがめられて行くもの押しつぶされるもの、正義の名のもとに踏みにじられて行くもの、生み出されていく残虐行為、隠蔽されてしまう真実・・】があるんだよ----そのことを見失わないようにいよう、としてないと大事なもの、大切なもの、希有なもの、誇れるもの、をもなくしてしまう。人としての品格すらなくしてしまうよ。 今、論議すべきは、自衛隊派遣の是非であり、アメリカ主導で始めたこの戦争責任の、引き金である大国の傲慢な外交政策の問題であり、爆弾を落とされたイラクとイラク国民の復興の手助けを本気でするのなら何が有用なのか、であって、人質にとられた個人の人間性をおとしめるためのあら探しなんかじゃ決してないっ!!!! 「わたしは知識も知恵も不十分だ」ということと、「でも何かおかしい」と感じるアンテナはイコールではないと思うんだ。無知であることを恐れずに声に出す勇気は必要なんだ、と自分に言い聞かせてる。自分の耳に、ゆがめられていたり、操作されたりしている情報も、真実と思える情報も、入り交じってたくさんのものが飛び込んでくる。その中でどう認識して何を基準にものを理解するか・・・とても難しい。迷いもするし不安にもなる。けど、私の中に、あのつり革広告の見出しを見て、言いようのない怒りを感じることは真実なんだ。それが自分の核の部分なんだ、と思うことが基準になるような気がするよ。 なぜ?なぜ?を思い続けることでしか誠意を示せない・・・そう思う。何に対して、誰に対して、の誠意なんだろな・・・。自分が生きる。他者が生きる。いろんなものが生きている。そういうものに対して、かなぁ・・・。かっこよすぎる気もするが。 |